中国映画週間2023『長安三萬里〜思い出の李白』(原題・长安三万里)映画レビュー:唐代の賢人たちが愛した長安、夢と挫折、そして希望〜キャスト情報・あらすじ・感想※ネタバレあり
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今日は、中国映画週間2023『長安三萬里〜思い出の李白』(原題・长安三万里)映画レビュー:唐代の賢人たちが愛した長安、夢と挫折、そして希望〜
を紹介するよ。
【基本情報】
監督:謝君偉、鄒靖
脚本:紅泥小火炉
声優:楊天翔、凌振赫、呉俊全、宣暁鳴
脚本:紅泥小火炉
声優:楊天翔、凌振赫、呉俊全、宣暁鳴
167分
2023中国映画週間が始まった。
目玉はゴールドクレイン賞授賞式&クロージング映画上映のいぼの「熱烈」だ。
しかし22秒でsold outだった。
今年はてこのスケジュルが厳しく、それでも3作のチケットを取る事が出来た。
その1発目が本作である。
劇場は、毎年お馴染みのTOHOシネマズ日本橋である。
勝手知ったる場所にも関わらず、今回も日本橋駅で降りてしまうという痛恨のエラーをし。
文字通り日本橋を小走りで渡り、わりと息が上がった状態で入場した。
会場では中国語が飛び交い、ぁあ今年もこの季節が来た、と実感した。
入りは9割ほどで、アニメーションだからかちーこたちも多かった。
ってな感じで始めるよ、最後までよろしく!
長安三萬里ってどんな映画なん?
安史の乱から数年後、吐蕃軍が西南に侵攻してきて、長安も囲まれる大ピンチとなっていた。
唐の節度使高適は孤独に城を守っていたが、圧倒的に不利な状況に陥り後退を余儀なくされる。
そこへ朝廷から差し向けられた監督役の宦官将軍がやって来る。
てっきり不利に陥り後退したことの責任を問われると思っていたがおしー高適(Gāo shì)だったが。
驚いた事に、聞きたいのは李白の事らしい。
そこから出会った頃から今に至るまでの、李白との思ひ出バナの始まりである。
がおしーのちーこのときの話から始まり、故郷を出て長安を目指す途中で↓李白と出会う。
まず始まってすぐ思うのは、この造形だよね。
上半身と下半身のヴァランスがすごぶるおかしい。
このヴァランス以外は、細部にわたりリアルにできており、さらに情景なども素晴らしい美しさだ。
でもこれも”敢えて”だとわかって来る。(なぜだかはわからんけども)
お馬さんもだったから。
お馬さんも、おなかはむっちむちだが足はもっすごくほっそい。
皆上半身特化型だ。
ま、そんなこたぁどーでもいいっすかね。
こっから意気投合して長安に〜とかではなく。
なんでも李白の親友の墓を黄鶴楼が見える場所に作りたいとかで、それに同行し。
そこで一旦別れ、1年後に揚州で会おうと約束し、がおしーは約束したから訪れたけど李白は覚えてなくって。
がおしーは、文武両道のぱぱに育てられたが、学の方は今ひとつなので武道を鍛錬してきた。
高ファミリーの槍術を極めるために日々精進して来た男子だ。
李白の詩的才能を目の当たりにして少なからず触発されるものの、それを言葉にする勇気も気概もまだまだ足りなかったあの頃。
がおしーは生涯で3度故郷へ戻り、黄鶴楼を3度訪問し、長安に3度入城し、揚州を2度訪問している。
その度に李白と出会い、杜甫、李亀年、哥舒翰ら唐代の賢人たちとの関わる事で、がおしーは自分を見つめ直して行く事となる。
一方李白は。
彼は科挙を目指していたが、商人の子なので受験資格がなく、貴人の後ろ盾が必要らしい。
類稀なる詩的才能をもつ李白の才能はまずは揚州で開花した。
その名は長安にまで届くほどで、皆が李白を一流の詩人だと認め始めたのだ。
しかし、彼の人生はジェットコースターのように浮き沈みが激しい。
栄華を極めたらどん底へ、そしてまた這い上がり、やはりどん底へと堕ちる。
しかしどれほど落ちぶれても李白には、高い社交性、自由奔放な生き方、そして何よりも李白には溢れ出る”言葉(詞)”があるのだ。
奈落の底から”言葉”で成り上がっていける力がある。
彼は一度も科挙を受けていないが、詩で帝に気に入られ朝廷で大きな力を持つまでになるのだ。
李白に誘われて長安入りしたがおしーだったが。
やはりまたもやそんな手紙を出したことさえ忘れてる李白である。
そんな李白を恨みもせずにもはや悟りの境地のがおしー。
杜甫を連れてのじいちゃんの墓参りは、何と言うかもぅ気の毒だった。
この時がおしー43歳。
何一つ成し遂げてない人生。
再び故郷へと戻るのであった。
しかし、その故郷へ道士姿の李白が訪ねて来る。
この時気付いたよね。
がおしーと比べて李白のだらしない体つきに。
おなかぶっくりw
なんでも楊貴妃に嫌われてその身も危ないとかで捨世して入山するとかなんとか。
入山した後の飲み会での一幕は、正直何を見せられてるのかわからなかった。
飲むぞーーーーへぃへぃへぃ!
詠むぞーーーーはぃはぃはぃ!とコールが続き。
李白が次から次に詩を詠み、銀河系の中飛びまわり、天界で乾杯し、みんなでヤク決めてトリップしてるかの様だった。
次の日、がおしーは何度目かの悟りの境地で哥舒翰との約束を果たしに旅立つ事となる。
哥舒翰の元で書記として働いていた日々は、穏やかなものだった。
自身も作詞は続けていたし、李白の新詩も聞こえて来ていた。
しかし、穏やかだった日も終わりを告げる。
10年間密かに力を蓄えてきた安禄山が悪さを始めたのだ。
そこでの働きと功績で、開幕の身分(節度使)となるまでが語られる。
ところで吐蕃軍7万が攻めてきてるんだが、悠長に話してていいんだろうか、というてこの心配をよそに、思ひ出バナはまだ続く。
しかし宦官将軍はなんで李白の事を聞きたいんだろうか、というてこの疑問も膨れ上がる。
そこから5年前の話へと進んでいくのだが。
その後(飲み会の後)李白は下界を捨て仙人修行してるはずが嫁までもらい相変わらず(詩を詠む)の生活をしている様だった。
しかし、世に疎いので永王の反乱に巻き込まれがおしーに捕らえられ、白髪の囚人となったのが5年前である。
そっから、ようやくがおしーの見せ場がやって来る。
終始、李白の生き様を見せられてた訳だが、ぃやがおしーの生涯も語ってるがまるで良い事が起こらない。
だからてこは断然がおしー応援隊だ。
この清廉で実直で、嫁も取らずただひたすらに己と向き合ってきた不器用すぎるこの男子を応援せずにはいられないのだ。
宦官将軍の
李白に対する私怨ではないのか
という疑いのために、わざわざここまで出向いてきたののか、と正直意味がわからないし、
相当なこじつけ感は否めない。
伝説の李白と伝説の戦いをうまく絡めたかった、という苦肉の策であろう。
しかし、ようやく高ファミリーの槍術を正しい場(戦場)で使うのを見れる事、
そして地味ではあるが真摯に自分を見つめ偽らない心で生きてきたその結果を、最後に見る事が出来る。
夢の中で生きてきた男子と、現実の中で生きてきた男子との対比だ。
どちらが良い、とかそう言う問題ではなく、生き方はそれぞれであり正解もそれぞれである。
李白はさほどではないだろうが、がおしーは間違いなく李白に触発され啓発され、人生のターニングポインツとしていつも存在していたのが李白だった。
そんな李白に憧れる訳でもなく、嫉妬するでもなく、ただ淡々と臥薪嘗胆を続けてきて出来あがった男子、それががおしーだ。
めたくそかっけーーー男子である。
長安三萬里てこが見た感想
宦官将軍のおみやげバナで、夜郎へ追放となった李白は道中で恩赦を受け、その時の喜びの詩を聞かせてくれる。
この詩はてこも知っていた。
亡くなる3年前の作品だ。
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エンドロールで、唐代の賢人たちの詩が次々と流れる。
その中でも圧倒的な質量を誇る李白作。
質量・中身共に傑出した類い稀なき才能を誇る詩人だったのだろう。
彼ら賢人たちに共通するものは”長安”である。
長安が如何に彼らにとって大事な場所であったのかが窺われる。
そして唐代の文化において、詩が如何に皆の心の拠り所になっていたのかも感じられる。
夢・希望、はたまた悲しみ・怒り・絶望、そして時には檄文、とその方向性は多岐に渡る。
詩人たちは、代弁者であり憧れの存在であった。
その中でも群を抜く人気インフルエンサーが李白だった。
日本にも俳句や短歌があるが、学校で習うくらいで今の気持ちを俳句にしよう、などと言う試みを日常ですることはほぼない。(ポエムを書く人は居るけども)
その点、中国では現代の今でも詩を詠むことは(日本よりは)日常的なのだろうか?
中国の学校では、李白ほか賢人たちの詩を暗記させたりするのかな。
てこは故郷を想う「静夜思」と、夜郎からUターンのときの「早(つと)に白帝城を発す」くらいしか知ってる詩はなかった気がするけど、もっすごい量の詩を聞かされたんでもうお腹いっぱいだ。
しかし、もっと真面目に李白の詩を勉強してたら数倍楽しめたのだろうなぁ、と感じる。
詩集などを読んでからもっかい見てみるのも良いかもしれない。