香港映画1990『欲望の翼』原題・阿飛正傳 Days of Being Wild映画レビュー:トランクスでちゃちゃちゃ♪にノックアウト【監督・脚本:王家衛ウォン・カーウァイ】【張国栄/張國榮/张国荣レスリー・チャン】【張学友ジャッキー・チュン】【劉德華アンディ・ラウ】【梁朝偉トニー・レオン】キャスト情報・あらすじ・感想※ネタバレあり
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今日は、香港映画1990『欲望の翼』原題・阿飛正傳 Days of Being Wild映画レビュー:トランクスでちゃちゃちゃ♪にノックアウト、
を紹介するよ。
【監督・脚本:王家衛ウォン・カーウァイ】の「花様年華」「2046」へと続く,60年代3部作への序章となる作品である。
本作は彼が監督する2作品目。
初期作品ではあるものの、各国映画祭でセンセーションを巻き起こし注目を浴びるきっかけとなった。
この頃から一貫した彼独自の世界観は今までも決してブレることなく続いているようだ。
もうすぐ中国返還、返還されたらどうなるん?っていう不安が反映された作品が多く作られてた頃。
その中でも秀逸で非常に評価の高い作品である。
加えて、今では到底ムリな超絶豪華キャスト。
ビッグスタァ達の90年代ヤングなまだギラついてない彼らを堪能できる。
あと、くっそキザなセリフも広東語独特のイントネーションだと嫌味なく聞ける。
、、、
広東語、ぜんっぜんわからない。
途中、養母は上海語?(たぶん)で喋り、ヨディは広東語で答える。
途中北京語も聞こえてくる。
、、、
字幕ってありがたい。
ってな感じで始めるよ、最後までよろしく!
欲望の翼ってどんな映画なん?
↑のっけから、これですやん。
どうしたらぃい?
惚れてまうやろ?
例の広東語で言うんですわ。
「今夜、夢で会おう。」
「1960年の4月16日、3時前の1分間、君は俺といた。この1分を忘れない。」
「1960年の4月16日、3時前の1分間、君は俺といた。この1分を忘れない。」
クッソかっこいいんだがーーーーーーー、って叫ぶ。
1分間、時計を見る眼差し、仕草、そしてめっちゃ近いとこから女を見るレスリー・チャンの横顔。
もはや芸術と言って差し支えないだろう。
主な登場人物は
ヨディ:張國榮レスリー・チャン
スー:張曼玉マギー・チャン
ミミ:劉嘉玲カリーナ・ラウ
サブ:張学友ジャッキー・チュン
警官タイド:劉德華アンディ・ラウ
ヨディの母:潘迪華レベッカ・パン
謎の人物:梁朝偉トニー・レオン
スー:張曼玉マギー・チャン
ミミ:劉嘉玲カリーナ・ラウ
サブ:張学友ジャッキー・チュン
警官タイド:劉德華アンディ・ラウ
ヨディの母:潘迪華レベッカ・パン
謎の人物:梁朝偉トニー・レオン
寝苦しい熱帯夜のような映画なのだが。
独特のカメラアングルのフィリピンの熱帯雨林と懐かしいラテンなメロディから始まる物語。
60年代を生きる若者5人の出会いと恋、夢と運命。
いたるシーンで画面の片隅に映し出される時計。
5人の中に流れている時間が交差することで生まれる何か。
5人の中に流れている時間が交差することで生まれる何か。
しかし、若者たちのそれぞれの想いは満たされずすれ違う。
そして、ヨディが言う、広東語で(←シツコイ)
脚のない鳥がいるそうだひたすら飛び続けて疲れたら風に乗って眠る地上に降りるのは死ぬ時だけだ
どうやらこれは”地獄のオルフェウス”からきてるようだ。
脚のない鳥、すなわち”極楽鳥”である。
羽根の美しさゆえにヨーロッパ貴族の飾りに使用されていた。
で、輸出するときに体を傷つけたら商品価値が下がるってんで、あらかじめ足をもいでいたんですね。
死んで脚のない状態しか知らないから、この鳥はもともと脚がない鳥で。
ゆえに地上に舞い降りることができず、風を食べながら永遠に飛び続け、死んで初めて地上に落ちてくる。
いかにも中世のヨーロッパ人が信じそうな(失礼・ぺこり)伝説である。
クリストファー・ドイルの撮る幻想的なカメラワークと、
高温多湿のじっとりさと、
「エデンの東」のキャル(ジェームス・ディーン)みたいな美男で気だるい感じと、
自由がなくなったら死んじゃう、ずっと飛び続けたいと、
時折流れる懐かしめのラテン音楽と、
などが相まって。
とりあえず、何を見せられてるかわからないが、胸がきゅっと切なくなってしまうのである。
王家衛の作品は途中で寝てしまうことが多いのだが(失礼・ぺこり)これは寝ちゃいけないよ。
では、いくよ。
ここからは登場人物を紹介しながらレビューしていこう。
トランクでちゃちゃちゃ♪旭仔ヨディ【張国栄/張國榮/张国荣レスリー・チャン】
物語の核は、↑ヨディ(レスリー・チャン)ストーリー。
彼がスー(張曼玉マギー・チャン)と付き合ってたけど
「結婚して」
「ムリ」
で別れてミミ(劉嘉玲カリーナ・ラウ)と付き合うのだが。
まったくひどい男なのだが、かっこよすぎ。
無気力でいつも気だるく、薄情なのに激情とか、マジでどうにかなりそう。
「俺の夢をみるぜ」
「欲しいのか?」
なにそれ?
言われてみたい。
心臓止まるけど。
さらに、加えて↓
”トランクスでちゃちゃちゃ”は殿堂入り。
「ブエノスアイレス」で既に華麗なタンゴに虜にされていたが。
「さらば、我が愛〜覇王別姫」でも既に艶やかなる京劇に虜にされていたが。
この”トランクスでちゃちゃちゃ”はほんとにセクシー、優勝。
トランクスでこんなにかっこぃぃとか、まじモンである。
養母のヒモを殴り倒すシーンがあるのだが、ああゆうキレた演技もほんとに艶っぽい。
端正なビジュアルに隠された残虐性が、見る者の心をざわつかせる。
傲慢でありながら繊細。
狡猾でありながら純粋。
そんな水面と水中のあわいにあるヨディという人間の色気が、
演じている張國榮レスリー・チャンと重なり、胸が押しつぶされそうな痛みを感じるのである。
世界で1番ランニングが似合う男超仔タイド【劉德華/刘德华アンディ・ラウ】
ヨディに振られたスーが夜な夜なストーカーばりにヨディの家の前をうろついてるところを職質する警官タイド。
なんとなくほっとけず、お金貸したり、話を聞いてあげてるうちに疼き出す恋心。
制服姿の時は顔の全貌が見えず、それが逆にセクシーである。
今のアンディ・ラウのイメイジが強いから↑見ると別人かと思ってしまう。
張震がよく似てる(似てない?)
っと、話を戻すと、
タイドはヨディと違って、地に足ついたタイプで真面目な警官。
ほんとは船乗りになりたかったけど、病弱の母の介護で警官に。
スーと約束した公衆電話、すれ違いが切ない。
愛し愛されることがこんなにも難しいこととは思ってもいなかったあの頃。
もっと違う道もあっただろうに。
傷つき、傷付け合い、それでも愛さずにはいられなかったあの頃。byてこ
みたいな歌が流れてきそう。
俺の役目は何?謎の男【梁朝偉/梁朝伟トニー・レオン】
謎のラストシーン。
突然に、話の流れとカンケーなく我らが葉っぱさん(イップマン・グランドマスター)
梁朝偉トニー・レオンが登場する。
身をかがめないと頭が天井につくような狭い部屋で身支度をするトニーさん。
咥えタバコでポマードで髪を撫で付け、持ち物を一つ一つ手にとって確かめてポケットイン。
ラッキーストライクは一箱ずつ両方のポケットへ。
分厚い札束は中身をざっと眺めてから胸の内ポケットへ。
最後に白のハンケチーフを三角に折り畳んで胸ポケットへ。
咥えたタバコを窓の外に放り捨て、電気を消す。
、、、、。
謎。
すっんごい謎。
謎だけどかっこぇえ。
惚れ惚れするような(語彙力)所作。
意味わかんないが、なんか意味あり気に思えてくるのは、彼の発するぱねぇオーラのせいであろう。
で、唐突に終わるもんだから、クレジットみて”ぼーーーーーーっ”としちゃうんだけど。
しばらくして
”???”
と思ってサーチすると、出てきました。
↑幻のオープニングですよ。
本来「欲望の翼」は2部構成で続編が計画されていたらしい。
この天井の低い部屋はどうやら、あの伝説の賭博場”九龍城砦”の一室であるらしい。
何がどうなったのか知らんが、続編は実現せずに頓挫したようだ。
幻の続編は、同作の6年後が舞台。
60年代の香港に生きる若者たちの生き様が6年の歳月を経て、どのように変化したのか。
その答えは、カーウァイ監督しか知らないと言うことだ。
欲望の翼てこが見た感想
真夏の熱帯夜、寝苦しい夜、と言う感じの映画である。
香港、そしてフィリピンのじっとりと纏わりつく湿気。
扇風機に掻き乱される熱気。
額や首筋に浮かぶ珠の汗。
冷房をかけたら寒くなりすぎるし、かと言ってかけないと不快で寝られない。
なんて夜だ、、、と毒付いても、秋が近づき過ごしやすくなってくると、夏の終わりが不思議と寂しい。
まさに、そんな余韻を残す作品である。
最初から最期まで「なんだかよくわからないけど」って映画だが。
なんと言っても張國榮レスリー・チャンであるし。
それに「ストーリーも脚本も上等ですんごい面白い映画」でも、終わった後何にも残らずに存在を忘れてしまうような映画よりは、「なんかよくわからないけどすき」っていう方がてこ的には”いい映画”である。
そうゆう作品は時が経っても、また手に取るし、たとえば30年前の映画だとしても決して古いとは感じない。
逆に、新しい気付きや、大人になって解る行間も感じ得ることが出来るということだ。
あとは、割とどうでもいい話ではあるが、言葉について。
冒頭でも書いたが、本作で話されてるのは広東語・上海語・北京語だと思う(たぶん)
養母との会話でママは上海語で、息子のヨディは広東語で答えている。
回想シーンでも女中は上海語でヨディに話しかけている。
これはヨディは香港育ちだが、上海語の環境で育った、ということだ。
ミミは恐らく北京語だと思うがなんだか訛っているきがする。
調べてみると南方にルーツがあるようだ。
ご存知のように中国語は多様で、何人(どこの国パスポートか)というよりもどこにルーツ(上海人、香港人、蘇州人、北京人)があるのかが重要そうだ。(たぶん)
ヨディが産みの親にこだわるのは、ルーツを知らなきゃ己のアイデンティティを確立できないからではないだろうか。
脚がない鳥
ヨディ
死ぬその時までこの目で見ていたい
そう語っていたヨディ
最期まで見開いていたヨディの眼に見えたものはなんだったのだろうか。