中国ドラマ『康熙帝~大河を統べる王』(原題・天下長河/天下长河)ドラマレビュー其の2:26集〜ラストまで:清朝康熙年代・黄河に捧げる愛ここに〜堂々完結!【羅晋/罗晋ルオ・ジン】【尹昉イン・ファン】【陸思宇/陆思宇ルー・スーユー】【李昕哲リー・シンチュウ】【黄志忠ホアン・ジーチョン】【公磊ゴン・レイ】【蘇可/苏可スウ・クウ】【梁冠華/梁冠华リャン・グアンファ】【趙麒/赵麒ジャオ・チー】【郭之廷グオ・ジーティン】キャスト情報・あらすじ・感想※ネタバレあり

2023年11月3日

ご訪問ありがとう、てこブログへようこそ。
 
今日は、中国ドラマ『天下長河』(原題・天下长河)ドラマレビュー其の2:26集〜ラストまで:清朝康熙年代・黄河に捧げる愛ここに〜堂々完結!
を紹介するよ。
 
基本情報と其の1レビューは↓これだ、読むが良い。
さぁ今回の其の2も、無駄な歴史小話をどんすかぶっ込むつもりなので長くなるけどそこんとこよろしく。
 
清朝の皇帝は満州人であり中国人(漢人)ではない。
清朝は1636年、中国の外の瀋陽(満州)で建国したのであり、中国に入って支配したのは1644年からの事だ。
それから268年間、清朝はたしかに中国を支配したが、中国だけを支配したのではない。
 
清朝の皇帝は、清帝国を構成する五大種族に対して、それぞれ別のタイトルで君臨していたのだ。
 
・満州人に対しては、満州人”八旗”という八部族の部族長会議の議長
・モンゴル人に対しては、チンギス・ハーン以来の遊牧民大ハーン
・漢人に対しては、洪武帝以来の明朝の皇帝の地位を引き継いで、彼らの皇帝として君臨
・チベット人に対しては、元のフビライ・ハーン以来のチベット仏教の最高の保護者、大施主
・東トリキスタンに対しては、ジューンガルの支配権を引き継いで、トルコ語を話すイスラム教徒を支配
 
これらの五大種族は、それぞれ別々の独自の法典を持っていた。
漢人は清朝皇帝の使用人である官僚を通して統治されていたが、
ほかの四つの種族には官僚制度の管轄は及ばず、自治を認められていた。
 
漢人が中国以外の辺境に立ち入る事は、厳重に制限されていたし。
漢人が科挙に合格して官僚になれば行政には参加できるが、辺境の統治にも、帝国の経営にも、漢人が参加する事は許されなかった。
漢人は清帝国の二級市民であり、中国は清帝国の植民地の一つという意味合いだったのだ。
 
それに比べてモンゴル人は、清朝建国に最初から参加した古参なので、漢人より優遇され満州人に準ずる地位を持っていた。
モンゴル人の貴族たちは、皇族と同じ爵位と俸禄をもらっていて。
モンゴル庶民は、それぞれ自分の領主によって治められており、清朝に税金を払う必要もなかった。
 
清帝国の第一公用語は満州語、第二公用語はモンゴル語、第三公用語が漢文だ。
清朝時代のあらゆる公式文書は、この三つの言葉で書くのが決まりだった。
康熙は育ててくれたおばあさまがモンゴル人だったので、モンゴル語も堪能だった。
 
このように満州人の清朝皇帝が中国の皇帝を兼任している間に、清朝は東アジアに広大な勢力圏を作り上げた。
それはモンゴル人の元朝の勢力圏を遥かに凌ぐものだった。
その範囲が、モンゴル国を除いて現在の中華人民共和国の領土になっている。
なので、満州人の清朝が現代の中国の原型と言えるのだが、その清朝発展の基礎を築いた皇帝こそが、聖祖康熙帝なのだ。
 
注:てこブログは、大いなるネタバレを含みます。
閲覧の際は、十分にお気をつけ下さい。
 
ってな感じで始めるよ、最後までよろしく!

天下長河25〜ラストまで、ってどんなドラマなん?

さてと、ようやく本題に入るとしようか。
 
あのとんでもないハラスメント自己批判男子@于振甲のせいで引き起こされてしまった江蘇・山東・安徽三省の大災害。
黄河バカ二人組を、これを機に消し去ろうとソンゴトゥ&イサンガチームが全力で糾弾中だ。
黄河バカ二人組は、こんな事になるならあの石頭ハラスメント男子@于振甲を殺っときゃよかった・・・などと後悔してるが、後の祭りだ。
彼らの願いは黄河治水なので、素直に取調べに応じるし、とにかくこの先も工事を続けたい、という一心の願いだ。
なんて尊い男子たちだろうか♡
 
ミンジュ&汲布くんチームは、ソンゴトゥらの思い通りにはさせんと、なにより黄河バカ二人組をもっすごく推してる康熙の立場もあるし、とこちらも全力で策を練る。
 
ハラスメント男子@于振甲は、桃源県の住民に町を救ったヒーローだと崇められて自己満足に浸ってたが。
大災害の被害を見るにつけ、この惨事は己が引き起こしたのだと、段々と罪の意識に呑み込まれて行き。
 
「死にてぇ・・・」
 
などと曰う始末だ。
しかし康熙は簡単に死刑になんぞするものか、と逆に昇格させ被害救済任務を課せる。
実のところは、黄河バカ二人を守るためにも一番の戦犯である@于振甲でさえもお咎めどころか昇格なんだぞ、っていう実例を作り、苦し紛れではあるものの彼ら二人を守ることが出来たのだ。
 
黄河バカ二人組は罪も認め、その後も黄河治水工事を一途に続ける事になる。
康熙22年、ようやく念願の蕭家渡の堤防を完成させ感慨にひたる二人組。
今までのことが走馬灯のように浮かび、思わず涙すること確実だ。
とにかくこの二人組の黄河愛が尊すぎて、ほんとに輝いているのだ。
台湾も帰順し、康熙は蕭家渡に視察にやって来る。
三人は終始両思いモードでいちゃついてるのだが、時折見せる無邪気で辛辣な陳潢の言葉に明らかに気分を害してる康熙、それに気付き慌ててフォローする靳輔、という微妙な三人組になっている点は懸念案件だ。
 
陳潢の、天才にありがちな、黄河の事しか考えていなくて周りの空気が読めない、正しさ=正義、だと信じて疑わない危うさ、正しいことを正しいと言って何が悪い、という横柄さが今後に影響するフラグであるのは間違い無いだろう。
しかもね、これ歴史ドラマなんで結果がどうなるかわかってるんですよね。
だからこそ、ここいら辺からは見るのが怖くて辛かった。
 
そして、康熙が北京に戻ると。
来ましたよ。
まずは皇太子問題。
とんでもなく残念な男子に成長してしまってるのは、もうみなさんご存知だよね。
 
そして唐突にどこぞの公主がご挨拶に来た。
@図克図汗公主という事は、ハルハかホルチンだろう。
しかし、話の流れからするとおそらくハルハだ。
康熙帝の好敵手ガルダン葛爾丹の登場だろう。
モンゴルではハルハ部族が独立を保っていたが、1688年の春にガルダンが三万のオイラト軍を率いて、西方からハンガイ山脈を越えてハルハ部族の地に侵攻したという歴史がある。
なので、この公主の出番はすなわち”モンゴル内紛”への介入、すなわちまたもや金欠になるよ、というフラグだ。
 
ここで、ガルダンの話を少しだけ説明しとくと。(ちょっとだけです、念の為)
康熙は当初、このモンゴル内紛に介入する気はなかったのだが、ハルハからの助けを求める声を無視できずに。
穀物運んだり、家畜を与えたりして救済に手を尽くし。
清領に避難してきたモンゴル人は二十万とも言われている。
1690年にガルダンがぶいぶい言わして南下してきて、
 
「ジェブツンダンバ引き渡せこのやろー」
 
と言われたので、康熙はこれに対して大軍を送って迎え撃ったのだが。
・・・
大敗だった。
康熙帝の叔父、内大臣佟国綱も死に、ついに康熙帝はガルダンとの対決を決意したのだ。
そのチャンスは五年後にやって来る。
ガルダンはモンゴル高原東ケルレン河上流のバヤン・ウラーンに本拠地を置いた。
康熙帝は自ら遠征軍を率いて、ゴビ砂漠横断作戦に出発したのだ。
この行軍は非常に厳しく、その行軍中に皇太子宛にたくさんのお手紙を書いていて。
このお手紙は全て満州語で、皇帝特権の朱墨で書かれた現物は、台北の故宮博物院にある。
この遠征の詳細は、長いドラマになり得るほどの劇的なものだ。
興味がある方は、史料を探して読むがいい。
 
で、話をドラマに戻すが。
モンゴル内紛で大忙しだし、皇太子もポンコツだし、金もないし、部下は嘘つきばかりだし。
頭の痛い悩み事がたくさんだ。
もう破裂しそう。
そんな時にこの世で一番愛していたおばあさまがお亡くなりになってしまう。
 
黄河治水の方は、長い工程を終え残るは黄河を海に導く最後の行程を残すのみだ。
黄河バカ二人組は、黄河を第一・安全第一に考えて、金はかかるが海水の逆流を防ぐために新しい河をつくり少しずつ放流しよう、という案だったのだが。
石頭ハラスメント男子@于振甲は、もっとお手軽でお得な案を献上してきた。
ガルダン問題で金がない康熙は、ハラスメント男子の案を採用してしまう。
 
康熙も苦渋の決断だった。
しかし、内情もわかってよ。
こっちもいっぱいいっぱいなんだって。
なんとか譲歩してくれん?
 
って気持ちなのだが、皇帝なので威厳を損なうわけにはいかんから、それなりな態度で
 
「勅命だから、言われた通りやってね」
 
と伝えるも。
黄河バカ二人組は、黄河バカなので信念を曲げるはずがない。
二人はクビになったけど、ただの工夫として相変わらず黄河河川で働いているが、命令をガン無視だ。
 
そんな時に、それを一挙に解決できる策を考えれる人材が降臨したのだ。
其の1で紹介してた、大兄の@徐乾学だ。
実は黄河治水により生まれた水田の権利でミンジュと靳輔が私服を肥やしているという筋書きだ。
何かと目障りな者を葬れるし、治水政策に反対する者も居なくなる。
もちろんソンゴトゥ一派による画策だが、こんな腹黒くなった大兄は見たく無いしガッカリだ。
 
しかし、そんなわかりやすい筋書きにまんまと騙されて、
 
「靳輔め、ガッカリだ。
清廉潔白だと思ってたのに。
裏切られたーーーーー」
 
と激怒中だ。
なぜ信じられん?
そこは信じるとこだったんだぞ、康熙、と諭したい。
 
康熙は黄河バカ二人組より、ミンジュをどうにかしたかったのだ。
それは何故か。
皇太子案件があるからなのだった。
皇太子の事になると、何かとジャッジを間違う康熙なのだった。
 
裁判の場で、ミンジュは逆にソンゴトゥの悪さを暴露して一矢報いるが、要職からは失脚する。
汲布くんも、康熙曰く
 
「なんでも朕の真似ばかりする盗人だ」
 
なんて言ってて、寵をすっかり失ってしまう。
 
靳輔はいくら調べても、横領の証拠も見つからないし。
調べれば調べるほど質素な暮らしぶりしか見えてこない。
康熙はここでようやく”まつがい”(間違い)に気付くのだが。
 
無罪と言うか免職だけで放免される。
しかし黄河バカのもう一人陳潢は、獄神廟に入れられたままだ。
なんせ皇帝なんで。
威厳とか建前とか大事なんで。
言う事聞けない子は許すわけにはいかんのだ。
 
なんというか、この頃の康熙は。
可愛さ余って憎さ百倍、という感じもあるが。
やはり、見えて来るのは猜疑心の強い暗黒面だ。
 
黄河バカ二人組のきらきらな尊さに共感し、感動し、だからこそ三人三脚で今まで歩んできたのに。
三人ともに最後まで誠実だったのに変わりはない。
ただ、その誠実さが。
 
・黄河バカ二人組の誠実さは黄河に対しての誠実さであり、康熙帝への誠実さではなかった
 
康熙はこの事に気付いてしまったのだ。
裏切りではないが、裏切りだ、というもっすごい切ない康熙の気持ちもわからんでもない。
ぁあ、なんと言うことか。
陳潢は、獄神廟で病を得る。
聞けば、河の仕事中に心臓を悪くしてたらしい。
寝てる間の動悸が激しく、明日目覚める自信がないのだと言うではないか。
 
ぁあ、なんと言うことか。
黄河を見てあんなに輝いていたのに。
凍える黄河の上を、今にも華麗なステップで踊りそうな、そんなきらきらな男子だったのに。
いつまでも黄河と共に生きてほしい。
最期は黄河で逝かせてやりたい。
そんな気持ちで涙が溢れてくるのだ。
 
彼は、死の直前に『河防述要』を壁一面に書き上げる。
そして大兄と小兄に後を託す。
 
「兄たちよ、君らはこの文を靳輔兄さんに渡してくれ。
添削してもらうんだ。
いつも、いつもそうやってやってきたんだ、おれたち」
 
だって。
・・・
泣ける。
激泣きなんですよ。
 
もう正直な話、ここで終了でいい。
安西センセの声も聞こえたりもするが、もう諦めて終了でいい。
それほどに燃え尽きた(泣いた)
 
でもね、話は続くのさ。
だって、ハラスメント男子が失敗する様が見たいでしょ。
 
ほっらー、やっぱり。
黄河バカ二人組のが正しかったっしょ。
 
までは見届けないと。
がんばれ、視聴者のみんな。
 
「今度こそ殺してくれーーーーー」
 
と大騒ぎしてるハラスメント男子のシーン。
これだけで察しろ、という仕様にいささかガッカリだが、まぁいいだろう。
結局河口で大決壊を招いたようだが、康熙は陳潢が死ぬ間際に書き上げた『河防述要』を渡し、
 
「もう一度これで頑張ってみろ」
 
とか言ってる。
最初から『河防述要』使えば良かったのに。
痛恨のエラーをしでかした康熙だ。
 
ハラスメント男子は、自分の不認識を反省し陳潢の教本を元に、黄河治水を完終させる事に成功する。
康熙28年、皇帝は南巡船の上で陳潢の教本に《河防述言》と題名を与える。
晴々としたハラスメント男子の顔を見るのも腹立たしい。
この男子のせいで二回も大決壊が起きたのだ。
それなのにこんなぶいぶい言わしてていいものだろうか。
しかし、この南巡船には靳輔も乗ってたのだ。
 
相変わらずぐだぐだと余計な事を口走ってたハラスメント男子だが。
涙と鼻水と涎とでどろどろになった顔で
 
「どぅーーーーぶぅーーーーーちぃーーーーーー」
 
と渾身の謝罪が聞けたので、もう許すよ・・・

天下長河てこ監修”イケメン備忘録”

朕な男子@康熙【羅晋/罗晋ルオ・ジン】

じん兄さんこと【羅晋/罗晋ルオ・ジン】だ♡
 
過去レビューは「錦繍未央(王女未央)」と「幸福到万家」のみだ。
なんと言うことか。
「封神演義」「鶴唳華亭」「別雲間」さらにはわりと最近の「庭外」まで未レビューだとは。
なんと言う怠惰か。
思えば「鶴唳華亭」は泣いてばっかいたけど、今回は真逆の”泣いちゃいけない皇帝”だった。
いや、完璧に演じ切ってましたがね。
 
じん兄さんは、人間味ある人懐っこさみたいな武器があって。(ニッコリ、クソガキ風の笑顔)
それが康熙に反映されてて、意外な一面みが出てて良かったと思う。
それとは真逆に、口で言わず目で言う、みたいな凄みもあったし。
言葉少ない朕の、間の取り方も絶妙感たっぷりで文句のつけどこは見当たらない。
 
ただ、圧倒的な尊い二人組が居たので、キャラの好き嫌いは黄河バカ二人組の勝ちかな、
などと思ってたら大まつがい(間違い)
最後の最後のワンシーンの表情で、結局康熙が全部持ってった感、優勝。
 
いやしかし、じん兄さん。
こんなガチの歴史ドラマで主役を立派にこなせる俳優に成長していて、嬉しい限りだ。
現代劇でもご活躍中だが、これからも渋い古装劇をどんどん演ってほしい。
1981年11月30日生まれの41歳、181㎝、68kg。
北京電影学院卒業。
 
「三国」「穆桂英掛帥」「美人心計」「錦繍未央(王女未央)」「鶴唳華亭」「安家」「封神演義」「幸福到万家」「庭外」

ダンサーな男子@陳潢【尹昉イン・ファン】

てこブログ二回目ランクインのファンクこと【尹昉イン・ファン】だ♡
 
彼は実はダンサーであり、このことは過去レビューに書いてあるので読むがいい(「少年的妳(少年の君)」参照のこと)
こん時のレビューでも「天下長河」が楽しみだ、と書いているが。
まじで本当にすごかった。
 
何度も言ってるけど、凍える黄河の上のシーン。
ファンクがダンサーなの知ってるもんで、踊り出すんじゃないかと、踊ってくれと、そんな想いが湧き上がった事を白状しよう。
まぁ結局当たり前だが踊り出したりしないが、まさに踊り出しそうなほどの嬉しさを彼の全身から読み取ることができる訳で。
ほんとうにきらっきらに輝いていて、これがファンクか、と驚いたものである。
 
バディとの絡みが本当にステキで、見ていて本当に楽しかった。
この黄河バカ二人組に振り回される家族は少し気の毒だが、それでもこんな二人を応援したい、そんな尊い二人組だった。
彼らの最期を思い出すと、今も秒で泣く自信があるが。
あちらの世界で再会を果たし、黄河に入る弟を目を細めて眺めている兄を想像してまた泣く。
 
こんなにも出来るファンクの過去作は、きっちりチェックすべきだし、
今後も動向に留意したい俳優だ。
1986年8月27日生まれの36歳、177㎝、68kg。
北京師範大学卒業。
 
「藍色骨頭」「路過未来」「少年的妳(少年の君)」「新世界」「一点就到家」「紅海行働」
待播ドラマは「歓顔」だ。

天下長河てこが見た感想

物語のエピローグは、白髪になった康熙が輿に乗ってる姿から始まる。
この姿なら、最後の大遠征ジューンガル討伐も終わってるだろう。
そして「河伯廟」に立ち寄り↑の銅像を見るところで終わっている。
 
この表情がなんとも言えず解釈に苦しむ表情なのだ。
皆もそれぞれ自分の目で見て、いろいろと感じてほしい。
 
その目には、懐かしいノスタルジックなものは感じられない。
そこにあるのは後悔か、懺悔か、あるいは羨望か。
 
康熙帝の成し遂げた数々の偉業を考えると、40集と言う尺はあまりに短い。
それでも、黄河治水を軸に、正しい歴史を組み込み絡め、奥行きのある脚本だったと思う。
登場人物も生没年にはズレがあるが、キャラ立てがしっかりできているし背景も興味深く設定されていた。
 
黄河バカ二人組の存在感もさることながら、流石の主役の康熙もじん兄さんの熱演が光っていた。
屈託なく生きてきた訳ではなく、幼少期から城外に出されわずか八歳で即位してからは、オボイたち四人の大臣に抑圧され悩まされ。
ひねくれそうなところを、聡明さで踏ん張り、それでもすねくれずやんちゃなところもあり。
彼は、安穏と生きる時間など1秒もなく。
だからこそ、孤独やプライドで少しずつ暗黒化していく様も見事に演じていたと思う。
さらに、脇を固める古参&汲布くん、もちろんハラスメント男子まで芸達者で安定の演技だった。
 
この三人の中では、結局ソンゴトゥが生き残ってる訳だが。
歴史を知ってる者は、ソンゴトゥの未来も知っている訳で。
出来ればその辺も見てみたいよなぁ、などと欲も出ますねぇ。
 
ラヴなど1ミリも存在しない、硬派なドラマであり。
しかし日本上陸の可能性もある気がする、だって面白いもの。
この人気情報は必ず伝わってるはずで、おそらく誰かが版権買うはずだ。
だから皆も楽しみに待つがいい。
 
それと、其の1でもひとり萌えポジを紹介したが、其の2でもひとりだけpickupしときたい。
靳輔の実の息子役@靳治豫【李昕哲リー・シンチュウ】だ♡
1995年2月20日生まれの28歳、180㎝。
北京電影学院卒業。
 
見せ場もないし、あまりいいとこなかったがてこの萌ポジだった男子だ。
今後も見守っていきたい明星だ。
 
最後に、ずっと謎だった案件を少し話して終わりたい。
それは、康熙帝の母皇太后の事だ。
何故だか正気を失っているようで、少女のように生きている設定だった。
そして、
 
「孝庄太皇太后は、決して私を許さないわー」
 
などと言っていた。
 
孝恵章皇太后は、順治帝の二番目の皇后だ。(一人目は廃皇后)
ご存知の通り、順治帝はドンゴ(董鄂氏)命の男子だったので、この二人目の皇后も廃そうとしたのだが。
ままである孝荘文皇太后に反対されて踏みとどまった。
ドンゴ妃は順治帝より前に亡くなったが、もしかしてこれに絡んだ何かがあるのだろうか。
 
その後、康熙帝が即位した後、嫡母として皇太后となり、慈仁宮に住んだ訳だが。
様子がおかしくなったのは太皇太后に関係があるのか。
康熙もその事をもっすごく知りたがってたけど、結局最後まで真相はわからなかった。
もしも有名な逸話があってドラマ化されてるなら見ておきたいなぁ、などと思った次第である。
 
順治帝とドルゴンの確執なんかも機会があったら書いてみたいなぁと思う。